元台湾総督明石元二郎先生紀念講会
2002年10月26日(星期六)


明石元二郎最後の写真
昨年、台湾海峡を眼下に臨む台北縣三芝郷・福音山基督教墓地に眠る明石元二郎氏を訪れた。実に立派な墓であり、毎週誰かが訪れているという。
明石氏は日露戦争における功績の方が知られており、不本意ながら外務省不祥事(機密費問題)のタイミングでクローズアップされている。700-800億円という機密費を使いロシア弱体化を果たしたが、 外務省にいた誰かのような私的流用は論外、機密費であるにかかわ らず使途明細を記録しておりそのすべてを参謀本部に報告していた という。 しかし日本では台湾における功績を知るものは少なく(近代日本史 では教えていない)、まして台湾の土に還ったということを知るも のはさらに少ない。

そんななか、「元台湾総督明石元二郎先生紀念講会」に参加するこ とができた。 「今日の会は明石氏の功績を称えるだけではなく彼の愛を通して日 台の交流にしたい」旨、交流国際文化基金会・楊基銓董事長の開会の辞によって始まった
     
続くシンポジウムでは、前日本経済新聞社論説主筆の水木楊氏によ る「明石元二郎の人生」、台湾史研究家である楊碧川氏による「明石元二郎と台湾−植民統治の心理状態」の講演が行われ、明石氏の生い立ちや功績、エピソードが紹介された。 (→※)
※引き続き座談会が、現代文化基金会顧問であり司馬遼太郎の「街道を行く」で老台北として著名な蔡焜燦董事長の司会で行われた。 はじめに明石氏の墓地を手当てするため中心になって尽力された楊基銓董事長夫人の楊劉秀華女士による墓地建設にまつわるエピソー ドが披露された。明石氏の愛を日本国として何とか広く認識しても らい、その愛を通した友好を次代につなげていきたいという強い意思を感じさせるお話であった。

その後会場の参加者との活発な意見交換が行われた。 なかでも強い印象に残ったことは、明石氏の孫にあたる明石元紹氏の「日露戦争、朝鮮統治の仕事は納得できるものだったかもしれな いが、台湾での仕事についてはまだまだ本意ではなかっただろう」 という発言であった。

わずか一年四ヶ月でかなりの功績を残したとはいえ、病のために志 なかばにして帰国せざるをえなかったことは心残りであり、台湾を 愛するだけでなく、引き続き夢を成し遂げるためにも台湾の地を永 眠の場所に選んだのではないか........そんな印象を強く受けた発言だった。

また日台友好について否定的な外務省を何とかしたいために強い志を持った26歳の女性がこのシンポジウム参加のために渡台したという発表もあり、立派な若者もいるぞ!と認識を新たにしたものである。

いずれにしてもこの様なイベントが台湾人によって行われたことは 大変意義深いことであり、日本においても広く伝えたいことである。 明石氏を称え、日台の愛を育もうという台湾の方たちに心から御礼申し上げる。 また、この様な機会を与えてくださった「台湾の声」主宰の林建良 氏、国際文化基金会の趙天徳氏に感謝申し上げる。    -枝 厚-     (「台湾の声」2002/11/1より)
  2002年10月26日(星期六)下午1:30-5:30
 ・台北 台湾国際会館 南京東路二段125号14F
 ・主催:国際文化基金会
 ・協賛:現代文化基金会 自由時報 華南銀行 台日交流促進会
 ・後援:交流協会台北事務所 日僑協会 

-後日談

日本に帰国後、楊基銓董事長、楊劉秀華女士と電話でお話をする機会があった。

言葉のはしばしに明石氏への尊敬の念が浮かび上がる。

素敵なお二人によって今回の講会が開催され、そして参加できたことは大変嬉しい。

謝謝!



左から 蔡焜燦董事長、水木楊氏、楊劉秀華女士、明石元紹氏、(楊基銓董事長)、楊碧川氏

2002/10/27 (産経新聞朝刊)
明石元総督しのびシンポ台湾(10/27)


台湾の人々から今も敬愛される明石元二郎・元台湾総督の業績を振り返る 記念シンポジウムが二十六日、台北で開かれた。
日露戦争時の功績でも知ら れる陸軍大将で一九一八(大正七)年六月から翌年十月まで台湾総督を務め、 帰国船中で倒れて帰らぬ人となったが遺言によって台湾で埋葬された。
発起人の楊基銓・国際文化基金会会長は「統治者が植民地を永眠の場所に選ぶこ となど、歴史上も類をみないこと」。
孫の明石元紹氏は「没後八十三年を経た植民地の施政者がかくも温かい扱いを受けているのは、台湾の方々の精神 の豊かさと人間愛ゆえ」と、日台の深い心のつながりに改めて感謝の意を表 した。(台北 河崎真澄)


LastUpdate:2005/1/1

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